ドイツ啓蒙資料集

主に18世紀後半のドイツ関係のもの、特に政治思想・社会思想を中心に。

クライン「思考の自由と出版の自由について」

エルンスト・フェルディナンド・クライン「思考の自由と出版の自由について。君主、大臣、著述家へ」
Anonym [Ernst Ferdinand Klein], Ueber Denk- und Druckfreiheit. An Fürsten, Minister, und Schriftsteller, in Berlinische Monatsschrift 3, 1784, S. 312–329.

プロイセン一般ラント法の制定に携わった啓蒙的官僚の一人、Ernst Ferdinand Klein(1744-1810)の匿名論文です(後の自伝のなかで明らかにしました)。フリードリッヒ大王を讃え(というより半ば伝説化し)、言論の自由を擁護しつつ、その限界も規定するものですが、とりわけ興味深いのは、言論の自由を政治的観点から、しかもモンテスキューの理論を改変する形で用いて、擁護しているところです。政治的自由は中間権力によって温和になった統治形態にしか存在しない、というモンテスキューのテーゼは、ドイツでもすでに当時有名でした。ラントの特権貴族層をモンテスキューの「中間権力」と解釈して(立法あるいは司法の)権力に携わらせようとする人らがいたのに対して、一般ラント法の制定者たちはそうした特権集団を排して、絶対主義化を推し進めようとしていました。クラインはこの文脈のなかで、貴族に中間権力の役割を当てるのではなく(「それは国王権力の有害な発動に対抗して働くのと同様に、その有益な発動に対抗しても働く」)、言論の自由にこそその役割を割り当てて擁護するのです。支配への服従と両立する言論の自由というテーゼは、クラインの数カ月後に発表されたカントの「啓蒙とはなにか」にも顕著であり、両者は文通関係にありました。モンテスキューの中間権力を言論の自由に割り当てるというのは、比較的ユニークなものですが、例えば知る限り、Augst Ludvig von Schlözerのような人物も言及していたりするテーゼです。他にも、rässonierenという独特な言葉(これもカントも使っていますが)があったり、自由と思い上がり(Freiheit und Frechheit)という当時の主要なテーマに繋がる部分があったりして、そのあたりも面白いものです。
クラインはフリードリッヒ大王の著作からのかなり恣意的な引用をして、大王がいかに言論の自由を擁護しているのかを示していますが、その部分は重要と判断した部分しか訳していません(大王の著作はフランス語で書かれており、それをクラインがドイツ誤訳したものの重訳になります)。

近年、出版の自由Druckfreiheitに関して、一方ではその濫用に対する不満が、他方ではその制限に対する不満がいやましており、このテーマを扱う考察にとっては今をもって他に時宜を得たときはない。これに関して言うべきことをその第一原理から導き出そうとするならば、広範な前置きが必要になるだろう。それを企てる著述家は、その明察を賛美してくれる多くの読者を見出すだろうが、とはいえ読者の方も各々の特殊な意見を救い出すことのできる逃げ道を見つけるだろう。私に関して言えば、自然法の第一原理から確かに出てきて、理論において疑わしいというよりもその応用において嫌がられるというような見解を、私の読者が好ましく思ってくれればと願っている。その見解はそれゆえにしかし、第一原理の展開を通してよりも、その結果を活き活きと描写することを通して保障されるものなのだ。
プロイセンのフリードリッヒはおよそ半世紀もの間、自らの著作を通して、しかしさらに模範となる行いを通して、同時代人に影響を与えてきた。彼の行為様式が同じ時代の国法や統治術、哲学、道徳に及ぼしてきた、そしてこれからも及ぼすであろう影響について述べることは、歴史家に任せておこう。しかし私の目的にとって最も役立つのは、フリードリッヒがこの[出版の自由という]テーマについて何を考えていたのか、何を言ったのかを集め、読者に提示すること以外にありえない。私はもちろん、彼から特別な打ち明け話を頂いたのだと、自慢しているのではない。ただ公刊されている彼の書物の中から、このテーマに関する適切な部分を抜き出すことしかできない。それゆえにこそ、私はつながりをつけるために様々の文章を挿入し、別々のところにある思考をも取り上げて、彼の体系があたかも胚芽から成長してきたかのようにしよう。というのも私は、著述家の言葉によってではなく、国王の行いによって、彼が行ったことの全てを確証することのできる立場にあるのだ。とはいえ、私があたかも自分の考えをフリードリッヒの印のもとに売りだそうとしているなどという非難に耳を貸さなければ貸さないほど、私の特色のせいでフリードリッヒの思考が判別しにくくなるのではないかということは恐れなければならない。そこで、私は読者にお願いしたいのだが、構想力を助けにして、私の論文の中で威厳や活力に欠けたところを補ってほしい。若い君主が統治を始めたばかりの時に孤独な王室で自らの思考をたぐり集め、次のような独白を行っているところを想像して欲しい。

[...フリードリッヒの著作からの、長く、しかし意図的にかそうでないのか不正確な翻訳・引用。さらに抜粋して翻訳]「しかし純粋に恐怖によって支配しようとする君主は、臣民を単に能動的な奴隷に変える。彼らから高貴な行いを期待しても虚しいだろう。彼らの行為全ては彼らの低劣な性格を刻印されているだろう。偉大な活動を通して君主が名誉を追い求めても無駄だろう。君主の努力にもかかわらず、彼が得るのはただ優秀な監督者であるという名誉だけであって、王座の輝きを集めることができるような天才を目覚めさせることはないだろう。私に関して言えば、高貴で勇敢で、自由に志向する人々を支配したいと思う。つまり、それは行動したり活動したり、物を書いたり語ったり、勝ったり死んだりする力と自由を持った人々だ。彼らが与えられた自由を濫用し、私の最善の行いを小さくするということがあるのなら、そうすればよい! 私はそれでも、追従者という卑劣な寄生虫からははるかに安全であり、許しという神的な力を学ぶ。この力を持たないものは、王座にはふさわしくない。」 「どうやって私はわたしの人民を幸福にできるか、政府を寛大にできるか、私の名前を不滅のものにできるのか。国家の真の力を形づくるものはなにか。…国家の真の力は、ただ自然がふさわしい時代にそこに産ませた偉大な人間にのみある。」「こうして、わたしは天才を目覚めさせ、探求精神を促進し、才能を自由に遊ばせなければならない。…彼ら[人民]は、許されていれば自由に考えるだろう。敢えて考えるようになれば、シャフツベリーやロックが出てくるだろうし、彼らが罰せられないのであればモンテスキューヴォルテールだってひょっとすれば出てくるだろう。」
「一方で、司祭の魔法の杖が自分の周りに書いた円を超えて物事をみようとしない人がいる。…彼らは何が真実か、と問わずに、ただ先祖が真理だと考えてきたものは何か、と問う。…彼らは愚かさから怠惰さへと沈み込み、自分たちの宝を彼らが嫌っている人々に手渡し、その人々から見下げられてしまう。彼らを産業へと促進しようとしても、有能な外国人をその国に招き入れようとしても無駄である。…他方で、暗黒の時代の偏見を超越した精神を持ち、星星に法則を当てはめ、風邪の噴出すところを探求し、空気の重さを測り、自然を極め、地球全体に自分の刻印をのこす幸福な人民もいる。…洗練された趣味[der gute geschmack]によって、彼らの仕事の価値は倍になり、その理念は輝かしい宮廷においても、ホコリまみれの学校においても支配する。哲学と洗練された趣味の夜明けは、私の臣下の上にも昇る定めにある。彼らは迷信の鎖を投げ捨てなければならない。権力に飢えた司祭でさえ彼らの考える自由を制限してはならない。どんな宗教も支配してはならない。あらゆる信仰は平等な自由とともに教えられなければならない。もし世界に一つしか宗教がなければ、それは誇り高く無制限に支配するだろう。個々の聖職者は僭主になり、人民の罪に対して寛大さを示すと同時に、無罪な意見に対して同様の厳格さを示すだろう。彼らはあらゆる啓蒙を、自分たちの共通の敵として抑圧し、敬虔さの名のもとに、愚かさを崇拝にまで高めるだろう。このことは私の国と私の統治のもとには当てはまらないようにしなければならない。…哲学の有益な利益はどんな矯正法によっても制限されてはならない。ヴォルフは再び私の国家に帰ってこなければならないし、国家や良き道徳、普遍宗教に矛盾しなければなんでも、自由に公開の場で教えられるべきである。」

大王はこのように考えこのように行動し、それ以来、君主の模範になり、全ヨーロッパの賞賛の的となってきた。ああ、あなたがた君主よ、あなたがたは国王と君主の名のもとに神が成人していない子供たちの後見人となるように選んだのであり、その賢明さに人民は自分たちの人間の権利Menschenrechteを維持するようにと要求したに違いないのだ! あなたがたが、人民にとってフリードリッヒであるかのような見かけをやめて、まさに彼らのフリードリッヒになられるのはいつなのか。いつあなたがたは、人民が生まれつき譲渡できない権利を掲げているところの自由を、彼らに与えるというのか。その自由というのは、思考する自由であり、その思考を伝える自由なのだ。あなたがたはできもしないのに、フリードリッヒを模倣する。しかし、砂漠を庭園に変え、人間を人間的に統治し、そして臣民の活動に有益な空間を与えるという技術Kunst、この技術を執行することを、あなたがたはフリードリッヒだけに任せ、彼の幸運な模倣者たちに任せることはないのだ。あなたがたは恐れているのかもしれない。人民がバラムのロバ*1のようにことばを得れば、あなたがたのせいで陥ることになった惨状について、あなたがたに知らしめようとするのだ、と。しかし、あなたがたはこのことをほとんど恐れる必要はない。抑圧された人民が自分たちの僭主に逆らうGegenvorstellung machenというようなことは、ものを運ぶ家畜が乗り手に逆らうというようなことと同じくらい、ありえないことなのだ。しかしこのような奇跡がおきれば、バラムとそのロバに取ってと同様、君主とその人民にとってもためになるのだ。
あなたがたが、自分のことはもちろん、自分の受者やお気に入りの者たちを国家にとって重要な人物だと考えているなら、あなた方の芳信について判断するような全ての書物を、国家に反抗する書物として拒否することは正しい。しかし、フリードリッヒは違った。彼は臣民のなかの最も取るに足らない者の異議Vorstellungenさえも尊重し、レーナル*2さえ保護したのだ。
それでは、出版の自由を制限することはなんの役に立つというのか。あなたがたが自分の領邦で出版させたくないと思っているものによって、あなたがたは損をしてまで近隣の出版社を儲けさせることになるのだ。その作品を押収すれば、その作品は二倍の情熱を持って求められ、読まれ、理解され、誤解されるだろう。
あなたがたが自分の臣民を人間にしようとするつもりがあるのならば、こうした原理は妥当である。それは、たとえ臣民が、国王がいる限り自分たちは犬っころのように呼ばれなければならないというような不幸の状態にあり、閣下に遠くからでさえも人間性の義務を思い出させることはできないというほどであっても、そうである。しかしこうした場合には、あなた方の人民の運命もまた、一人のフリードリッヒの臣民がおかれている運命とは無限に異なっている。フリードリッヒの臣民は彼の支配のもとで、フリードリッヒは人間として、人間としての臣民からただ人間的な敬意表明を求めていたに過ぎない、ということを理解しているのだ。
おそらくあなた方はこう考えているのだ。自分の人民には日光はなんの訳にも立たず、ランプのもとでのほうがよりよくやっていける。そのランプは、人民がパンを見つけ出すことはできるけれども、パンの黒さはわからないというような程度の明るさでしかないけれども、と。実際、あなた方が臣民から人間の一切の権利を奪い取り、彼らの中にある活動性向を窒息させ、都市を狩人のボロ小屋に、畑を荒れ地に変えようとするのなら、そして、あなたがたが臣民を物乞いに変え、あなたがたによって盗人や強盗にならざるを得なかった臣民から保護してやるつもりなのだとしたら、これもまた正しい。
あるいはあなたがたは命令によって、例えば旅をしている哲学者たちが研究を進めやすくするようにしてやろうとしているのか。その哲学者があなたがたのもとでの出版の自由の状況を知るやいなや、ごくごく簡単に、あなた方の人民とあなた方の統治の状態を推論することができるだろう。悲惨な乗り手は気概Mutのない馬のためを思い、低劣な元首Regentは率直さFreimütigkeit*3のない人民のためを思うのだ!
あなた方の隣国でも、あなた方の検閲官僚が軍隊よりも恐ろしいということを、喜んで眺めるだろう。率直さと勇敢さはいつでも同胞だからだ。
プロイセンの国家に対しては、あなたがたは少なくとも、自分たちのことを真似してもらおうなどということは期待してはいけない。ここでは、人々は同じ勇気を持って、敵に対して、偏見に対して戦っている。公然と思考する自由die Freiheit laut zu denkenはプロイセン国家の最も堅牢な堡塁なのだ。ここでは、十分に理にかなったことだが、雷雨の前の恐ろしい静けさの方が、雪混じりの突風を目に吹きすさばせる鋭い北風よりも恐れられている。ここでは、自由はモンテスキューによって称揚された錘Gegengewichtの代わりをなしていて、それは国王権力の有害な発動に対抗して働くのと同様に、その有益な発動に対抗しても働くものだ。
プロイセンの軍隊の抗しがたい力は、服従Subordinationに基づいている。プロイセンの市民階級Civilstandに現れている秩序は、この服従にこそ依存している。服従はプロイセン国家全ての魂なのだ。この、一方では不可欠であるが、他方では負担の重い服従は、公然と思考する自由によって緩和されgemäßigt、それでいて妨げられることはない。支配者Vorsetzerはこれによって望みどおりなすことを妨げられることはなく、すべきでないことを望むことだけを妨げられるのだ。公衆の判断Urteile des Publikumsへの恐れはこうした状況のもとでは、パトリオティズムの代わりを務めることができる。もちろん臣民はこうしたことによって服従義務から解き放たれることはなく、なすべきことがなされるのである。しかし、命令に従うことだけが強制され、それに同意することは強制されない。行うことは強制されるが、判断することは強制されない。屈従することが強制され、同意することは強制されない。思い上がった理屈屋der kühne Räsonneurであっても他の人と同様に深々と頭を下げ、熱心に服従している。しかし、彼の判断の大胆さは恐れられていて、彼に隙を与えないよう警戒されているのだ。軍隊の統率者が、彼のすべての措置を最も厳格に判断する幹部に取り巻かれていると想定してみよう。幹部たちの理屈Räsonnementがもたらすものはなにか。それによって、くだされた命令の執行が阻止されるだろうか。彼らはまず最初に理屈をこねräsonnieren、その後で服従するのだろうか。これらはすべて間違っている。彼らは後になって理屈をこねるけれども、そうすることによって、統率者は、彼らの賢さGeschickligkeitを知っているならば、助言を請うか自分の一挙手一投足を正しく熟考することによって、彼らの同意を得ようとする。
確かに、このような理屈屋のせいで君主やその大臣にとって統治術が難しくなるかのように見えるかもしれない。怠惰で勇気のないmutlos人民は最善の統治と同様に最悪の統治をも同様に耐え忍ぶ。人民は無理解のために良き統治について不平を言い、悪い統治の帰結を感じてそれに不平を言う。しかしどちらの場合も、それは秘密裏になされるに過ぎない。こうした状況では、人民に称号Titelを与えることは簡単であるが、官職を与えることは難しい。なぜなら元首Regentは前者の場合には励まされることはないだろうし、後者の場合には警告されることがないからである。元首は、まるで村にいる職人のように、自らの仕事を行う。その職人は、自分の仕事を改善することを苦労に値することだとは思わない。というのも、彼の客はまずい仕事でも満足してくれるからだ。
したがって、プロイセンの支配者が国家に反抗する著作を検閲によって抑圧しようとするとすれば、それは彼がこうした著作を、国家そのものを攻撃し、国家をその敵に売り渡し、臣民を服従の義務から解き放ち、市民的な暴動Unruheを引き起こすものとみなすからである。しかし、君主や従者によってなされる措置に対する謙虚な判断についてはそうではない。プロイセンの支配者が宗教を保護するなら、彼は宗教を普遍宗教という意味で解し、宗教が誇示しあるいは宗教が忌み嫌われる原因となる、特定の名前を顧慮することはない。こうした出版の自由は賢明な統治を見分けるメルクマールである。そのやわらかな影響は、絶対君主制die unumschränkte Monarchieに[モンテスキュー的な]政治的自由という祝福を与え、しかも君主制を破壊的な嵐に晒すことがない。その嵐は、[モンテスキュー的な]共和主義的自由の夜明けを非常にしばしば暗闇に変え、その昼間を動揺させるものなのだ。
しかし出版の自由がそれ程に価値のある宝物Kleinod*4なのだとしても、思慮を欠き高尚ではなくそれを用いるによってそれを危機にさらさないように気をつけなければならない。我々は、自分たちからそうしたふさわしくないものを遠ざけておくための口実を、偉大なものから取り除いておかなければならない。通りすがりの人に悪戯をするために自由を使うというような思い上がったmutwillig少年のようには、自由を乱用してはいけない。著述家よ! あなた方が人間の教師であることを望むなら、あなた方がこの崇高な称号にふさわしいということを示したまえ。卑劣な意図を持っているとか、性急な熱情を持っているなどという疑いを一切晴らすのだ。個人と争うのではなく、物事に向き合うのだ。頭が切れる所や大胆さだけではなく、熟慮と気高い心を示すのだ。何か物を書くときは、得ることになるだろう名誉だけでなく、とりわけあなた方が提供する効用についても考えたまえ。どんな状況においても、あらゆる真理が同様に有用であるわけではない。今何を言うべきで何に口をつぐむべきか、これをあなた方は自分で考えるなければならない。それについては国家の法律も官吏も規定してはいないのだから。あなた方の書くものは矢だ。それが放たれるやいなや、もはやあなた方はその帰結を阻むことはできない。出版社があなた方の草稿を持って行ってしまったが最後、あなた方は、もはや公衆に向けておじぎをすることもできなければ、口に手を当てておくこともできない。そのあとでは、恭しい畏敬の念をもって、あなた方の裁判官の集まりの前に出頭するのだ。あなた方がパトリオティズムや人間愛に熱中しているなら、知恵が歩みを導くだろう。あらゆる種類の偏見に勇気を持って闘いたまえ。しかしアレキサンダーの剣によってではなく、ミネルヴァの槍をもってして。

*1:旧約聖書民数記』に登場する占い師で、モアブの王によってイスラエルを呪うように依頼された。ロバに乗っている途中、怒った神が天使を遣わせてバラムを止めようとしたが、バラムには天使が見えず、ロバにだけ見えたため、ロバは抵抗をした。最終的にロバは天使によって言葉を与えられ、バラムに抗議した。とウィキペディアが申しております。

*2:Guillaume-Thomas Raynal(1713-96)。啓蒙的歴史家として認知されている。『両インド史』は反植民地主義、教会と王党派への批判に満ちており、74年にはカトリック教会のもとで禁書扱い、81年には本人が国外追放され、ベルリンに保護を求めた。

*3:freimütigは当時の言論の自由の文脈で重要なことば。

*4:この言葉も、言論の自由擁護の文脈で頻出する。