ドイツ啓蒙資料集

主に18世紀後半のドイツ関係のもの、特に政治思想・社会思想を中心に。

シィエスとペインの公開書簡 

毎月ひとつ訳すと自分に誓っていたのに、気付けば三ヶ月くらい間があいてしまっていました。だけどそんなのかんけーねー。
1791年、ルイ16世のヴァレンヌ逃亡事件の直後、トマス・ペインとアベ・シィエスの間で新聞紙上を通じた公開書簡が交わされました。以下はその直後にドイツの雑誌に翻訳されたものの重訳です。カントの代表制――それはもっぱら立法における代表制、すなわち代議制民主主義のようなものだと思われていますが――を考えるときのヒントもあるように思われます。

Paine, Thomas und Emmanuel-Joseph Sieyès, Einige Briefe von Herrn Em. Sieyes [sic] und Thomas Paine über die Frage: Ob die republikanische Staatsverfassung den Vorzug vor der monarchischen habe? in Deutsches Magazin, Bd. 2, Aug., 1791, 193-216. *1

トマス・ペイン、エマニュエル・シィエス「共和制は君主制よりも優れているか」*2

1. エマニュエル・シィエス氏の公衆への告知*3
私は、いつか中傷に対しても証明されえない非難に対してもそれを放置しておくことなく、人生を送りたいと思っていた。中傷について言えば、顧慮すべき必要性はいまだ見いだせないが、私が収穫しようと思えばできるくらいには収穫物はすでに熟しているだろう。ひょっとすると非難については別であるかもしれないし、それに反論できる場合もありうるだろう。例えば、私は我々の現在の状況という好機を利用して、共和主義政党を掌握しようとしている、などということが幾度も流布されてきた。私はこの[共和制という]制度の支持者を増やそうと試みているらしい。これまで私は自分の信条にあまりに一貫性がないと非難されたことはなく、私は自分の考えを状況に応じて非常に容易く変えるとも思われていないようだ。信頼できる人々にとって(唯一私が語りかけることのできる人たちだ)、一人の人間の考えを判断するのには三つの方法しかない。それは行為、口頭での言葉、著作である。これらは革命以前からあるものであり、私は決して矛盾したことはないと確信している。しかし悪習を維持し続けようとする人がいるとすれば、よろしい、私には黙っているより他に仕方がない。旧習を美化しようとしてではなく、あるいは王党主義に対するなんらかの迷信的な感情からでもなく、私は君主制を贔屓している。なぜなら、理由を持って確信しているのだが、市民にとっては共和制よりも君主制のほうがより自由があるからである。他のどんな根拠も私には子供だましに見える。私の考えでは、社会が最も首尾よく設立されているのは、ただ一人だけ、あるいは数名だけでなく、すべての人があらゆる可能な自由を、その最大の範囲において、邪魔立てされずに享受する場合である。こうした特徴を私は君主制国家に見出しているのだから、君主制を他の体制よりも贔屓しなければならないことは明らかである。これが私の秘密の原理のすべてであり、何も隠し立てのない信条告白である。おそらく私はまもなく余暇をとって、こうした問題に取り組むだろう。その後で、私はどんな共和主義者に対してもきちんと向かい合うことになるだろう。彼らを異端だと決め付けるつもりもないし、異端判決を召喚することもなければ、中傷するつもりもない。尊敬し心より敬愛する人々を私はたくさん知っている。しかし、彼らの論拠には反論するつもりであるし、特定の状況において君主制が優先されるべきというのではなく、常に君主制が優先されるべきだということを証明しようと思う。共和制におけるよりも君主制における方が自由なのだから。誤解されないように急いで付け加えれば、私の君主制についての考えは、王室歳費Civilliste[liste civile]の賛同者たちが思い描くものとは必ずしもすべて一致するわけではない、ということである。例えば、贈賄したり陰謀をねったりする能力が真の国王の尊厳に必須の要素だとは、まったく思わない。むしろ逆に、国王の尊厳というものは何によっても堕落させられたり無に帰したりすることのないものだと考える。三千万もの歳入に公的に同意することは、自由に著しく反するし、私の原理に従えば、それは非君主的anti-monarchischである。
許してもらえるだろうが、この機会にこうしたことに思いも至らない人たちに、次のことに注意してもらいたい。私を馬鹿げた共和主義者として扱う人たちは、しかし同時にこっそりと私のことを反革命に手を染めている君主主義者だと触込んでまわっているのである。そうした人々は、時宜にかなったやり方で様々な党派に合わせて自分たちの発言を変節させることをいつも心得ているのだ。お気付きの通り、彼らは自分が思った通りのことを言うのではなく、むしろ他者を侵害するようなことを言おうとするのである。こうした思考様式はあまりにも十全に知られていて、貴族主義者たちのなかには、一方で彼らが好まない愛国主義者のことを、他方でこうした技にかけては彼らに何も引けをとらない共和主義者のことを、まさに適切なタイミングで貴族主義者だと罵った人々もいる。こうした人々が自分たちの敵を中傷することで傷つけることができたと思っていれば、その人はまさに信頼できる人物なのである。人々はこうしたことをやってのけているのだと思う。

2. トマス・ペイン氏のシィエス氏宛書簡。1791年、7月8日、パリ*4

拝啓
まさにイングランド行きの準備をしていた時に、私は国民新聞の最新号に載ったあなたの手紙を読みました。そこであなたは共和主義者に対して、統治形式をめぐる公開の戦いを告知されていますね。そして、いわゆる君主主義的な考えを共和主義的体系に対して擁護しようと申し出ておられる。
あなたの論戦を喜んで受けて立ちましょう。確信を持っているのですが、共和主義的体系が非体系――君主制がそう呼ばれているのです――よりも優位に立っているのであり、50頁足らずを私の主張で埋めてみるよう申し出ます。私はあなたが書く余地をたっぷりと残してさしあげましょう。
私があなたの道徳的文学的名声に畏敬の念を抱いているということ、これはあなたにとって、私が論争の際にちゃんと作品に向かい合うことを証明するものです。しかし、いつもどおり真剣に取り組むつもりではあるのですが、それでもあなたにあらかじめ言っておきたいことがあります。真剣に取り組むといっても、折を見てその功績に関して君主主義の悪趣味さを笑いものにする自由を抑制しはしません。
共和主義ということで、オランダやイタリアのいくつかの都市国家に関して呼ばれているもののことを指しているのではありません。むしろわたしは代表を通じた政府Regierung durch Stellvertreter[gouvernement par représentation]を意味しているのです。それは人権宣言の原理に基づいたものなのです。しかし、この原理とフランスの憲法は様々な点で矛盾しています。人権宣言はフランスとアメリカでその原理に関してまったく同じであり、ほとんど文字の上でもそうです。そしてこれが、君主制や貴族制と呼ばれているものに対して私が擁護しようと試みる共和主義なのです。
すでにわれわれはある一点において意見が一致しているということは、喜ばしいことです。つまり、究極的に危険な3千万円もの王室歳費のことです。なぜ政府の一部門があのように放埒な浪費によって維持されなければならないのか、見当もつきません。他の部門は殆どと言っていいほど多くの歳費を得ておらず、最も緊迫した必要性を賄うこともできないほどです。
こうした不均衡は、危険でまた同時に不名誉なことですが、あの政府の一部門に贈賄の手段を与えているものであって、他の部門がそれで買収されることもありうるのです。アメリカでは政府の立法権と執行権の間にはほんの僅かの違いしかありません。しかし前者はフランスよりも多く支払われているのです。
あなたが研究しようと提案された論題をどのように取り扱うのであっても、私があなたに大いなる敬意を抱いていることを疑わないでほしいと思います。さらに付け加えるべきですが、私は国王に対して個人的な恨みは持っておりません。むしろ逆で、国王が単なる私人に過ぎない人として幸運で尊敬すべき身分にあってくれればと、私は誰よりも誠実に望んでいるのです。ただし私は、君主制と呼ばれるものに対する、絶対的で開かれた恐れを知らない敵対者ではあります。それは私の一貫した揺らぐことのない原理によるものなのです。それは私が人間性に固執しているからであり、人類の尊敬と名誉に対する真剣な内的感情を持っているからであり、そして人間が子供によって導かれ、また理性を欠いた被造物に統治されているのを見て嫌悪を感じるからなのです。君主制が世界にばらまいてきたあらゆる不幸が私に嫌悪を催させるのです。恐喝、戦争、虐殺、これらによって君主政は人間を破壊したのです。端的に言えば、君主制というまったき地獄に対して私は戦いを告知してきたのです。

3. 上のシィエス氏の書簡に対する回答への所見と同じことに関する別のいくつかの要求(シィエス)*5

トマス・ペイン氏はアメリカの自由の創設に最も貢献した人の一人である。彼は人間性への燃えるような愛情とあらゆる種類の暴政に対する憎悪を抱いており、イングランドでバーク氏の支離滅裂な大演説に対して、フランスの自由を擁護することを申し出たほどであった。彼の書物は『人間の権利』と題されて出版され、我々の言語にも翻訳されている。だれもがこれを読んでいるし、フランスの愛国者でいまだこの友人に心から感謝しなかった人がどこにいるだろうか。彼は理性の及ぶ限り全威信をかけて我々の大義を擁護してくれたのだ! それだからこの機会を逃さずにいるのは非常に好都合であり、私は彼に感謝と最も深遠な敬意を捧げる。この敬意は、彼が非常に優れた才能を本当に哲学的に用いていることに対して、当然捧げられるべきものである。
ペイン氏は私が公開の論争をしたのだと前提し、それに受けて立ってくれているが、私は論争など挑んでいない。しかし、優れた著述家にいくつかの真理をさらに展開する機会を与えられたのだとしたら、喜ばしいことである。
ペイン氏は公然と君主制政府monarchische Regierungに反対している。私が言ったのは、共和制政府republikanische Regierungは自由にとっては十分でないように感じられる、ということである。我々が自分たちの考えを双方からこれほどきっぱりと表明したあととなっては、我々の論拠を明らかにし、そこで公衆に判断を下してもらうお膳立てをする以外にはない。しかし不幸なことに、抽象的な問いについて、とりわけ未だその語が定着していないような学問に関係する問いについては、一種の暫定的な取り決めをもってはじめなければならない。少なくとも哲学の旗のもとで互いを攻撃しあう前に、お互いにお互いを理解しているのだとちゃんと確信しているのなければならない。ペイン氏はこの必要性をよく理解していて、彼の擁護の説明を予めするところから議論をはじめようとした。
共和主義ということで、オランダやイタリアのいくつかの国家について言われているものを意味してはいない、と彼は言う。
筆者はこのように書き留めているのだから、私の側でも、オスマン帝国君主制ブリテン君主制を擁護するつもりなど同様にないということを、疑いもなく理解してもらっているだろう。
我々の論争において理性的に振る舞うために(そしてこのことは我々ともどもがきっと望んでいることである)、あらゆる具体例を遠ざけておかなければならない。ペイン氏は私と同様、歴史が与えてくれる模範には満足していない。従って我々の問題は、単に理論上決定されうるものなのである。ペイン氏は共和制を、彼が構想する限りで擁護するし、私としても君主制を、私が考える限りで擁護するのである。
端的に言えば君主制というまったき地獄に対して戦いを告知してきたのです、とペイン氏は書いている。心から彼にお願いしたいのだが、私がこの論究においては仲間なのであって敵対者たろうとするのではないことを理解して欲しい。しかし私は共和制というまったき地獄を美化しようとはしない。共和制にも君主制にも同様に同様に地獄があったのであり、両者は同じ程度に尊厳に値しない。ペイン氏も私もなにがしかの地獄の味方をしようなどということは、ありえない。
ペイン氏の言葉によれば、共和主義ということでまさに代表を通じた政府が意味されているという。しかし、ほんのわずかばかり私の応答に注意して欲しい。私にはよく理解できないのだが、なぜ代表制度eines System der Stellvertretung[systême représentatif*6]と共和主義というような二つの非常に異なる概念を互いに混同しようとするのか。 6月21日*7以来初めて、共和主義党が突然出現したのを我々は見ている。彼らの目的はなにか。代表の構想は国民公会がフランスに与えたものだが、その様々な不完全さにもかかわらず、これまで世界中で存在したもののなかでは最も純粋で最善のものだったということを、彼らは知らないということがあるだろうか。では共和制を要請し、しかも共和制をまさしく代表を通じた政府として説明する彼らは何を望んでいるのか。なんと、この生まれたばかりの政党は、名誉を獲得するために、国民公会そのものに反対して代表政府が必要なことを主張したつもりになっているというのか。全体としては二つの意見しかなく、それは代表制を要求する共和主義者の意見と、それを許容するつもりのない国民公会の意見である、このように真剣に主張しようとしているというのか。いや、こうした虚妄は、最近の共和主義者諸氏も思いつきはしないし、同様に、そのような盲目同然の物分かりの良さは公衆にも後世にも期待してはいけない。
政治的な代表に関して、私はペイン氏より先へと進む。どんな社会の体制であっても、その本質が代表に存するのでなければ、それは誤った体制である。あらゆる社会的結合について言えば、それが君主制であろうがそうでなかろうが、その構成員がいっせいに一度には公共体の管理gemeinschaftliche Verwaltung[l'administration commune]に従事できない場合には、代表者か支配者か、適法的な政府か専制かのいずれかを選択するほかはない。代表者を区分し、それらを互いに順序付ける様々な方法があり、これらの様々な形式のひとつをとって、それが唯一よき政府を証しだてる真の特徴だと主張することはできない。次のように語りはじめる人を真似ようとしてはならない。「注意してください。共和制ということで私はよき統治形式を意味し、君主制ということで悪い統治形式を意味しているのです。さあ、君主制を擁護してください!」。もちろん、ペイン氏のような精神を持った人に、こうした言葉に類似するものを帰してはならない。
一国民の代表の様々な様式については、すきなだけ議論がなされている。例えば、執行の秩序と立法の秩序がまったく同じやり方で組織されることが良いことかどうか、ということが論じられている。他にも様々な問いがある。しかしここから帰結するのは、こうした単なる小さな違いをもってして君主主義者と共和主義者が不和にいたっている、ということではない。こうした争点はいずれも、両方の体制の支持者に共通のものである。よき代表・悪い代表という二重の前提のもとでもこれは同じである。
実際、土地所有者である代表者は良いふうにも悪いふうにも選出されうるし、彼らの権利は良いふうにも悪いふうにも基礎づけられているのである。しかしそれでもなお解決されなければならないのは、どのようにして代表者を互いに関係づけ、どのようにして代表者を並び立てて、公的な活動を最も首尾よく分配し、それを最も容易にすることができるかということである。一言で言えば、常に解決されなければならないのは、君主制か共和制のどちらを選ぶのかということである。というのも、共和制の形式自体は、君主制の形式と同様に、よき体制にも悪い体制にも、良き政府にも悪い政府にも適合するからである。したがって、真の代表制を証明するもののうちに、共和主義者を他から区別するメルクマールを探そうとしてはならない。私の考えでは、二つの主要な点によって、二つの体制を区別することができるようになるのである。
あらゆる政治的な活動、あるいは執行権と好んで呼ばれているものが、執行を行う一つの合議体ein ausübender Rat [un conseil d'exécution]に委ねられ、その合議体では多数決で決定がなされ、その合議体が人民あるいは国民公会によって任命されるなら、それは共和制である。
それに対して、省ministerielと呼ばれうまく種類分けされた部局それぞれの頂点に、同じ数の職責のある長Oberhaupt [chef]を置く。その長同士は互いに独立しているけれども、在職期間中は位階においてより高位の一人格に従属している。つまり政府あるいは(同じことだが)国民君主制National-Monarchie*8の恒常的な統一を代表する者に従属している。そしてこの[より高位の一人格あるいは政府の統一の]代表者は、人民の名において執行権力を担うこれら各省の長を任免し、また公共体に有益なほかのいくつかの活動を果たすよう委託されており、その際に職責がなくても危険なことはない。このような場合、体制は君主制である。
問題は、お分かりの通り、政府の上にどのような冠をかぶせるのか、ということにほぼ全てがかかっている。君主主義者は一個人による統一によって冠をかぶせようとするし、共和主義者はそれに対して合成された一団体によってそうしようとする。私は共和主義者に対して、[政府の]活動の統一の必要性を理解していないと非難しはしないし、執行権を担う元老院あるいは最高の合議体によってこの統一が成し遂げらうるということも否定しない。しかし、このように統一されれば、この団体のなかで様々な諸関係が生じるゆえに、統一はうまく構成されなくなる。活動の統一がなされ、しかもその利点を逃さないためには、その統一は個人による統一と切り離されてはならないのだ。
このようにして、我々の体制においては、一人の君主からなる政府があり、その君主は[大臣を]選出するが責任を免れているwählend und verantwortungslos [électeur et irresponsable]、君主の名において六名が君主によって任命され、そしてその六名が職責のある君主として行為する。この六名のもとで部局の指揮Directionen der Departmentsなどが行われる*9
他方の制度[共和制]では、執行権の段階をのぼりつめていったところに、元老院あるいは評議会が存在し、それは各省によってかあるいは立法議会によって任命される。このもとに各省の行政などがおこなわれる。
抽象的な概念をイメージによって説明するとすれば、君主制政府は先端の尖ったものとして表象され、共和制政府は水平なものとして表象される。しかし一方が他方よりもとくに利点があるものとする場合、その利点は非常に重要であり、単純なイメージにのみ固執しないよう努力することは価値がある。これら全てを詳述することはしないでおこう。ここはそのような場ではないからだ。しかし、繰り返すのにやぶさかではないが、私が証明した2点において[執行権の長が一者か複数か・その責任のあり方はどのようで何を行うか]、2つの体制の本質的な性格を認識することができるのであり、それはつまり、責任の重い決定が大臣を任命するが責任を持たない意志によってなされるか、あるいは多数決によってなされた決定が適法的な責任と切り離されているか、どちらなのかということである。ここから出てくる結論については別の場所で述べることにする。
ともかくも、社会の体制gesellschaftliche Regierung [régime social]に関する重要な問題の多くについて、共和主義者とは意見の一致を見ていない。しかし、それゆえにこそ同じくらい多くの新しい争点が共和主義者と君主主義者の間に持ち上がっている、というわけでもない。例えば、執行権を担う合議体を選択するための多様な組み合わせが考えられうるし、その組み合わせを多かれ少なかれ国家行政の助言団体にまで拡張することができる。同様に、いわゆる王位継承をどのように規定するかということについてもひとつ以上のやり方が考えられる。つまり、様々なやり方で共和主義者か君主主義者になる自由があるのだ。
大臣の任命権を持つ君主の世襲についてどう考えるか、と聞かれれば(聞かれるだろうと推測するが)、私は何の顧慮もなく答えるだろう。なんらかの公職の世襲が真の代表制の法則と調和しうるということは、理論上まったく誤りである。この意味で世襲は第一原理の侵害であるとともに、社会に加えられた毀損でもある。しかし、選挙君主制あるいは選挙侯国すべての歴史を観察するとしよう。世襲制よりもひどくない選挙の方法がただのひとつでもあるだろうか。だとすれば、国民公会の振る舞いを叱責し、気概が足りていないなどと非難することは、筋が通らないのではないだろうか。多くの人と根本的に大差のない[普通の]人々には、二年前[1789年]何ができたか。彼らは提案されたことについて判断し、大抵の場合もうすでに実際に存在していることについて、可能であるか可能でないかと判断を下すのである。この問題を探求しようとした場合でさえ、馬鹿げているがしかし穏和な世襲制と、同様に馬鹿げているが内戦を引き起こすこともしばしばである選挙制のどちらが選択されてきただろうか。今日ではたしかに投票制はすでに親しまれているけれども、もうすでにこの問題について十分よく考えたのであり、世襲か選挙かということについては非常に多様な組み合わせが存在するのだとと人々は理解するまでに至っている。実際、最高位の公職に適用可能な組み合わせはある。それは世襲制に帰される利益をその不利益を抜きにして、選挙制の利益と統合し、しかもその場合後者の危険性を避けるようなものだろう。しかしそれでも、現下の情勢がすでに交付された憲法を変革するのに十分好都合だとは到底思えない。この問題についてはっきりと考えを述べることで私は満足する。確かに、今や[憲法の変革の]障害はかつてと同じではないと私も認める。しかし、障害はそれゆえにいっさいなくなったのか、また新たなものが現れてくるのではないのか。目下の状況において内部で分裂することは、同じくらい悪い影響をあたえるのではないか。それに対して、国民公会は、すでに知られている憲法によって、全フランスを統一したと自負しているのである。
人々が感じている満たされるべき一般的な必要性は、憲法を完成させ、最終的にいつか完全に斉一的に、また法の支配を確証する効力によって、憲法を確定するというものである。だとすれば、時宜に乗じて論争の種を各省のなかに投げ入れ、デクレのなかに限界の定かではないほどの多様性を生じさせるということが、理性的であるはずがあろうか。ともかく、国民が将来いつか憲法制定議会を通して君主制の地位について意見を表明しようとするとすれば、それは選挙国になるかもしれないし世襲国で在り続けるかもしれないが、それによって我々が君主制を失うということは全くないだろう。この問題に本質的なものは、個人による決定であり、それは活動する君主であっても大臣を選択する君主であってもつねに変わらないだろう。政治的な事柄に対する世論がますます啓蒙されていけば、人々はみな次のことを洞察するようになると思う。つまり、君主制における三角形[triangle monarchique]の方が、共和制の水平な台形[plate-forme républicaine]よりも権力の分割のためには優れており、権力の分割は公的な自由の真の堡塁である、と。
共和制ということで理解しているのは、人権宣言の原理に基づく政府である、とペイン氏は言う。私にはわからないのは、なぜこの政府が君主制ではありえないのかということである。
さらに彼が続けて言うことによれば、フランスの憲法の多くの部分はこの原理と矛盾しているらしい。それはありえることだし、人権宣言に対する誤りが生じていたとすれば、それは共和制を設立しようと予め考えられていたという[ありえない]場合であっただろうということも考えられうる。しかし、フランスが君主制であることをやめなければ、そのような[憲法と人権宣言の]矛盾は改善されないなどと、誰が考えるだろう。しかしペイン氏は私がもう一度こう述べたとしても許してくれるだろう。つまり、何らかの個別的な君主制を擁護しない自由が私にはあり、それは公平さの観点から要求されている。私の側でもペイン氏に、あれやこれやの[個別的な]共和制のために戦うことを要求しているわけではないからだ。我々が論究をなすべきだとすれば、それは理論上の域をでないものだということを私は望む。我々が見定めようとしている真理は、遅かれ早かれいつか明らかになるだろうし、現実に適用されうるだろう。しかし、私が十分に理解できたことといえば、今の状況においては、われわれの定めた憲法を確立するということのほうが、それを改善することよりも切迫して必要であるということ、それをより強く感じているということである。
権利宣言はフランスもアメリカも原理においてまったく同じものであり、文字上もほとんど同じである。残念ながら、われわれのものがよりよいものであればと思うのだが、それは難しいわけではないだろう。
そしてこれこそが私が君主制や貴族制と呼ばれているものから擁護しようとする共和主義なのである。フランスあるいはヨーロッパに住んでいる人なら認めなければならないが、共和制と君主制という言葉をそれらが世界中で一般的に考えられている通りの意味でのみ理解しなければならないとすれば、我々がそれについて語る気にはなれないに違いない。私がペイン氏が示してくれた例に従うなら、いわゆる共和制と貴族制を予め否定的に扱うのに好都合なことにならないだろうか。私が取り扱うであろう結びつきは、すぐにでも世評にしたがえば、あたかも最初から意図的に我々に対立させられている結びつきよりも、より真実らしいのかどうか、誰が分かるというのか。正直に言えば、法律を執行する評議会よりも、君主の自由で責任の伴わない投票のもとで行為する大臣のほうが貴族制的であり、そこで君主の実際の公然たる利害は、常に、そう、常に、多数派の利害と結びついているのではないか。ひょっとすると私は、共和制の価値に対する疑義を完全に説明しえてはいないかもしれない。しかし私が共和制を受け入れようとしないとして批判する人らは、私のことをいかに理解しておられないことか。終わりまでいかなければいつまでも道半ばにとどまると、思っておられるようだ。共和主義的とされている考えや感情について、私も知らないわけではない。しかし、社会的自由の最高の極地を常に目指すという私の目的に関して言えば、私は共和制を通過し、共和制を置き去りにして、最終的に真の君主制に到達しなければならない。私が誤りだとしても、少なくとも釈明しておかねばならないのだが、私は[共和制に対して]顧慮しなかったとか、十分にじっくりと熟考していないとか、そういうわけではないのだ。というのも、私の研究とその帰結というのは革命の前から続くものなのだから。
こうした説明では注意深い説明としては十分ではなく、そのことをお許しいただかなくてはならないのだが、しかし我々の論究が言葉をめぐる言い争いに堕してしまわないようにしたい。
これまで述べてきたことから明らかなのは、ある特定の言葉を語ることに注意深い人は、共和主義を君主主義の反対だと考えるようなことを敢えてしない、ということである。一の対義語は多である。我々の敵対者は、多数支配者Polyarchist, Polykratであって、これが君主主義の対立者に対する正しい名称である。彼らが共和主義者を自称するなら、それは君主政と対立するからではない。むしろ、彼らが公共的な事柄に賛成し、私的な事柄に反対するから、彼らは共和主義者なのである。しかし、そういうことであるなら、私も同様である。
公的な利害はこれまで確かに、いやというほど個々人の特殊な利益のために犠牲にされてきた。しかし、こうした不幸は、どのような名前で呼ばれていようとも、これまでで知られているあらゆる国家に共通することではないのか。幸運なことに語源上確定している明白な概念を受け入れず、むしろ完全に有害にみえる言葉の混乱をそのままにしておくような人に対しては、これ以上私は何も言うまい。少なくとも、共和制という言葉は、代表的な体制stellvertretende Konstituzion[constitution représentative]と同等の言葉として用いられてきた。しかしこの共和制という言葉が、こうした意味で使われるようになれば、問われなければいけないのは、われわれの共和制は君主制的であるのか多数支配的polyarchischであるか、どちらを望むのか、ということだと思われる。そこで、次のように問いを立ててみよう。「よき共和制においてより良いのは、政府[統治]が多数支配的であるときなのか、それとも君主制的であるときなのか」。
ペイン氏に対するこの回答をある注釈をもって閉じることにしよう。それはまず最初に書いておくべきことではあった。7月6日の書簡で、私は目下暇を見つけては、多数支配的共和主義者と格闘している、とは書かなかった。正確な表現はこうである。「おそらく私はまもなく時間を見つけて、こうした問題に取り組むだろう」。なぜ「まもなく」と書いたのか。それは、国民公会は即座に仕事の最後の仕上げとりかかるだろうし、実際それを完成できる状態にあると、いつも確信しているからだ。それまでは、私の[議員としての]日々の業務をなおざりにし、どんなことについてであっても雑誌に論考を掲載するというようなことはできない。こうした問題は日常の生活のペースに適っているとおっしゃる方もいるかもしれないが、私はそうは思わない。いずれにせよ、真理の友は権利問題を事実問題として扱おうとはしないものだ。原理を探求しそれを公表するには、それだけでものすごい労力を要する。とりわけ何事も自分自身の力で成し遂げようとする人にとってはそうである。そうした人にとっては、理性的な原理を現在の状況で発表すれば後悔することになるだろう。現在、きわめて決然と自分の意志を表明するなら、理性的な原理に耳を貸してもらうことなどできず、最終的に自分の意志に反して、あれやこれやの党派的な目的を促進すること以外に得るものはなくなってしまうだろう。

*1:https://books.google.co.jp/books?id=btkpAAAAYAAJ&dq=%22Deutsches%20Magazin%22%201791&hl=ja&pg=RA1-PA193#v=onepage&q&f=false

*2:これらの書簡は二人の重要人物によるものであるが、そこでは人類にとって重要な問題が研究されることが告げられている。その問題はフランス国王が逃亡したことによって最近再び活発に論じられるようになったもので、それをめぐってフランスでは目下、さらなる熱意を持って論争が為されている。公衆はこの論争が何故生じたのか、その理由についてはほとんど知らないが、この二人の人物の間の戦いは、公衆の面前で行われるであろう。この書簡は言わばこの戦いの火ぶたを切って落とすようなものだ。我々がこの論争自体の成り行きを読者諸氏にお届けするのは字義に適うだろう。

*3:1791年の国民新聞187号に掲載[Emmanuel Siéyes, Variétés, in Gazette Nationale ou Le Moniteur Universal, 187, 6. 7. 1791. 以下は復刻版。https://books.google.co.jp/books?id=c6UNAAAAIAAJ&hl=ja&pg=PA45#v=onepage&q&f=false]

*4:[これは『ル・リパブリカンle republicain ou le defenseur du gouvernement representatif』紙の第一号(1791/7/10)に掲載されたものらしい。後の注で示すモニトゥールの付録に掲載されており、ウェブで見れる。]

*5:[シィエスのペインへの応答は、上記のペインの文章とともに、1791年7月16日のモニトゥール紙に付録として掲載されている。以下は復刻版。https://books.google.co.jp/books?id=c6UNAAAAIAAJ&hl=ja&pg=PA137#v=onepage&q&f=false。また、この書簡は「君主制の真の概念について」というタイトルを付けられて、抄訳が別の雑誌で発表された。Emmanuel-Joseph Sieyès, Über den wahren Begriff einer Monarchie, Neues Göttingisches Historisches Magazin, Bd. 1, 1792, 341-349.]

*6:[Neues Göttingisches Historisches Magazin版ではRepräsentations-System]

*7:[逃亡していた国王がヴァレンで逮捕された]

*8:[monarchie nationaleの定訳はありますか?]

*9:[実際にこの書簡が書かれた後、1791年8月10日に国民公会のデクレによって臨時執行評議会 Conseil exécutif provisoireが招集された。ここで言われている六人の君主とは大臣のことで、それぞれ司法・海軍・外交・内務・戦争・財務を担う。https://fr.wikipedia.org/wiki/Conseil_ex%C3%A9cutif_(R%C3%A9volution_fran%C3%A7aise)]