ドイツ啓蒙資料集

主に18世紀後半のドイツ関係のもの、特に政治思想・社会思想を中心に。

フンボルト「政体に関する理念――新しいフランス憲法をきっかけとして」

今日取り上げたのは、リベラリズム(あるいはリバタリアニズム)の古典的思想家として(もっぱらミルの賞賛から)有名なヴィルヘルム・フォン・フンボルトです。日本ではフンボルトの政治思想を専門にして研究している方はごくわずかみたいですが、他方でその「教養」の理念なんかは積極的に研究されていた時期があるようです。
1790年にベルリンの王室裁判所Kammergerichtで働き始め、同年夏に辞任して、妻の財産で隠遁生活を贈るようになりました。ドイツ・ジャコバン派のゲオルク・フォルスターGeorg Forsterと手紙のやり取りがあり、その中でも政治的話題、とくにフランス革命について議論を交わしていたようです。フランス革命の理念には賛成だが、その現実の兼ね合いについて反対である、というタイプの議論は当時よく見られたものでしたが、フンボルトは初期ロマン派的な語彙によって自分の議論を展開しています。

Humboldt, Wilhelm von, Ideen über Staatsverfassung, durch die neue Französische Konstituzion veranlast. in Berlinische Monatsschrift 19, 1792, S. 84-98.
友人に宛てた、1791年8月のある手紙より*1

私は孤独ながら政治的なテーマについて取り組むようになりましたが、それは以前に、熱中した生活を与えてくれた度重なる機会においてそうしていたよりも、もっとそうなのです。私は政治的新聞をいつもよりも規則的に読んでいます。新聞が興味を大いにかきたててくれるとは言えないにせよ、フランスの諸問題は最も私を刺激するものなのです。この2年間それについて聞き及んだことについて、あらゆる賢しらなことKluge、愚かなことが思い浮かびます。そしてやっぱりいつものように、親愛なる*さん*2、あなたに、そしてあなたがこの話題について抱いている活き活きとした関心に立ち戻ることにしました。私自身の判断は――自分で自分に釈明するためにですが、強いて判断を下すなら――他の人とはまったく一致していないのです。これはパラドックスにさえ見えるかもしれません。しかし、あなたはともあれ私のパラドックスについてよくご存知なのですし、少なくとも今回もいつもと同じように結論を見いだしてほしいのです。

私が最も頻繁に、そして否定しようがないのですが、最大の関心をもって、国民議会とその立法について人の口から聞いたことは、非難でした。残念なことにその非難というのは、門前払いといった感じをいつも受けるものなのです。ときには専門的知識の欠如、ときには偏見、ときには新しいこと見慣れないことの一切に対する視野狭窄な恐れ、そしてとかくあらゆる種類のたやすく論駁されうる誤り。非難がどんな論証に耐えるものであっても、つねに1200人の賢い人間もまたただの人間に変わりはないという、不快な弁明の理由がつきまとっているのが常でした。その非難に対しては、個別の法令についての判断と同様に、なかなか決着をつけることはできません。対して私の考えでは、全く明白で、簡潔で、誰からも承認された事実というものがあります。それはまさにその試み全体を根本的に検査するためのあらゆるデータをあますところなく含んでいるものです。
憲法制定国民議会die konstituirende Nationalversammlungが試みたのは、単なる理性原理に基づいて全く新しい国家構造Staatsgebäudeを築きあげようということでした。誰もがこの事実を認めなくてはならないのであり、議会自身もそれを認めなくてはなりません。しかし、(議会が、自らの構想を現実化するために、邪魔立てされない権力を持っていると前提してですが)構想された計画にしたがって理性が言わばあらかじめ設立しておいたような政体は、どんなものでも成功しえません。強大な偶然が対抗的な理性と交える闘いから生じた政体だけしか、栄えることはできないのです。この命題は非常に明らかであって、私はこれを政体だけに限定するのではなく、実践的な試み一般にも拡張したいと思うのです。しかし、あなたのように強固に理性を擁護なさる方にとっては、この命題は私ほどの明白さを持たないかもしれません。そこでもう少しこのことにこだわってみましょう。

しかしその理由にとりかかる前に、もう少し詳しくこのことを規定するために二、三付け加えておきましょう。まず第一に、お分かりの通り、私は国民議会の立法の構想を理性自体の構想であると認めています。第二に、私は議会のシステムの原理がきわめて思弁的spekulativで、実行を見込んだものではない、とは申しません。それどころか私が前提としているのは、立法者はみなフランスとその住民の実際の状況をきわめてはっきりと見通していたということ、そして彼らは理性の原理を、理性の理想Idealにかかわりなく当時一般に可能であった分だけ、実際の状況に適合させたということです。最後に、私が問題にしているのは実行の困難さについてでもありません。どれほど「 解剖学の授業を生体になすべきではないQu'il ne
faut pas donner des leçons d'anatomie sur un corps vivant」ということが正しく重要であるとしても、やはり何よりもまず試みを成功させて、その試みが持続しないのかどうか、しっかりとした根拠を持たない全体の幸福が個々人の一時的な悪よりも優先させられてしかるべきなのかどうか、ということを示さなければならなかったのではないでしょうか。そこで、私は次の単純な命題から議論を始めようと思います。それは(1)国民議会は完全に新しい政体を設立しようと望んでいた、(2)国民議会はこの政体をあらゆる部分にいたるまで、仮にフランスの個別的な状況に適合させられていたとしても、純粋な理性の原理にもとづいて創りだそうとしていた、というものです。私は、この政体を(目下のところ)完全に実行可能なものと、あるいはお望みならば、もうすでに実際に実行されたものとみなしています。にもかかわらず、こうした政体が栄えるということはありえないのだと、言いたいのです。

新しい体制は以前の体制のあとに来ることになっています。個々人の名誉心や浪費癖を満たすための、可能な限り多くの手段を国民から引き出すことだけが見込まれていた体制の代わりに、あらゆる個人の自由と安寧と幸福だけを目的とする体制が現われる定めなのです。では、両者をむすびつける紐はどこにあるのでしょうか。自分にはそうなるだけの発明の才と巧みさがあると信じる人は誰なのでしょうか。現在の状況は正確に研究され、それに基づいて現在の状況に続くべきものがいっそう正確に見込まれるでしょう。しかし、必ずやそれだけでは十分ではないのです。我々の知や認識のいっさいは普遍的な理念、言い換えれば、経験の対象に関して不完全で生半可の理念に基づいています。つまり、個別的なものについては我々はごくわずかのことしか把握することはできないのです。そしてにもかかわらず、ここではいっさいが個々の力、個々の活動、苦悩、享楽にかかっているのです。

偶然が作用し、理性はただ偶然を導こうともがくだけであるならば、話は全く別です。この場合、現在の個々のあらゆる性状から――というのは、こうした我々に知られていない力が、単なる偶然と呼ばれるからですが――結果が生じます。理性がそこで貫徹しようと努力する構想は、その努力が成功したとしても、その構想が目指している対象そのものによって、なお形成されbilden、修正されるのです。このようにしてこの構想は持続性を得て、効用を生み出すことができるのです。前者の[理性原理だけに基づく]方法では、それが実行されたとしても、永遠に不毛なままでしょう。人間において繁栄するようさだめられているのは、人間の内部から発生してきたものに違いなく、外部から与えられたものではないのです。人間の、活動的で苦悩する力としての国家とは、何でしょうか。どんな作用も同じ強さの反作用を引き起こしますし、どんな生殖も同じだけ活発な受胎を引き起こします。したがって現在はすでに未来をはらんでいるのです。それだから、偶然は非常に強力に作用するのです。現在は未来を自らの方へ引き寄せてきます。未来は現在といまだ疎遠なのであれば、そのときにはすべては生命を失って冷たくなってしまいます。このようにして、計画が失敗してしまうのです。理性にはまさに、手元にある材料を作る素質Fähigkeitがありますが、新しいものを生み出す力Kraftはありません。この力はただ事物の本質Wesen der Dingeのなかにだけやすらっており、そして活動するのです。対して、真の賢明な理性はこの力を刺激して活動状態にし、そしてなんとかそれを導こうとするだけなのです。ここでは理性は慎ましやかなものです。若木を幹に接ぎ木するように、政体を人間に接ぎ木することはできません。時間と自然の準備が整っていないところでは、花を糸に結びつけるようなものです。日光を浴びればすぐにそれは枯れてしまうでしょう。

しかし、ここでやはり問題が生じてきます。フランス国民は、新しい政体を受容するのには十分準備が整っていなかったのではないか、ということです。しかし、単なる理性原理にしたがって体系的に構想された政体に対してだけは、どのような国民も十分に成熟することはありえないのです。理性はあらゆる力の統一的で均整のとれた働きを要求します。個々の完全性の度合いのほかに、理性は統一の堅固さや個々の全体に対する正確な均整を求めます。しかし、一方で理性が単に多面的な働きによってしか満たされないのにたいして、他方で人間の運命は一面的なのです。どんな瞬間も、ただ単一の力が単一の仕方で発露するのです。頻繁な繰り返しが慣習Gewohnheitに移っていき、単一の力の単一の発露が、多かれ少なかれ、遅かれ早かれ、性格Charakterとなるのです。どれだけ人間が、個々のどの瞬間にも作用する力をその他の力との共作用によって修正しようと格闘しても、人間はそれを達成することはありません。そして人間がその一面性から何事かを奪い取ろうとするなら、その力は失われてしまうのです。より多くの対象に手を伸ばす人は、全体的にいっそう弱々しく働きかけることになります。このように力と形成は永久に真逆の関係にあるのです。賢者は全てを追い求めるわけではありません。あらゆるものが彼にとっては大切なものであり、あるもののために別のものをまったく犠牲にすることなどできないのです。そして、人間本性の最高の理想のなかに、その理想は燃えたぎるような空想を形成してしまうものなのですが、そのなかに、現在のどんな瞬間にあっても、より美しい、しかしただ単一の繁栄があるのです。ただ記憶だけが、過去と現在を結びつけ、輪を編み合わせることができるのです。

個々の人間と同様のことが、諸国民すべてについても言えます。諸国民は一度に一つの進路のみをゆくのです。そこから国民同士の多様性が、そこから国民内部での多様性が、様々な時代に出てくるのです。では、賢明な立法者は何をするというのでしょうか。立法者は現在の趨勢Richtungを研究し、そして見出したものに応じて、それを促進しあるいは追求するのです。こうしてこの趨勢は修正をうけ、さらにそれが修正を受け、さらにまた別の修正を受け、と続きます。このようにして立法者は、この趨勢を完全性という目的に近づけることで満足するのです。ところが、この趨勢が一度に単なる理性の計画にしたがって、つまり理想にしたがって作動するなら、言い換えれば、単一の的確さを追い求めるのに満足するのをやめてしまい、同時にあらゆることを求めて奮闘することになったら、何が生じることになるでしょうか。弛緩と無為です! 私たちが熱気と狂熱をもって掴まえるものはすべて、愛の一つの形態です。一つの理想によってはもはや魂が満たされないのだとすれば、かつてあった熱情はもう冷め切ってしまっているのです。一般に熱量があったとしても、全力で一度に様々なことに対して均等に活動しようとする人は、決して活動することはできないのです。反対に、熱量とともにいっさいの徳も消滅してしまいます。徳のない人間は機械になるでしょう。そのような人の行為には驚かされるでしょうが、その人物は軽蔑されます。

今度は、政体の歴史に目を転じてみましょう。われわれはどんな政体にも、何かしらの高度で全般的な完全性を見出すことはないでしょう。ただ、国家の理想が結合するに違いない様々の利点からすれば、われわれは堕落しきった政体の中にも、なんらかの利点を発見するでしょう。古代の支配によって、困窮が生み出されました。人々が服従しているのは、支配者が欠かせないものだと思われているか、支配者に反抗し得ないかぎりでした。これがすべての政体の歴史であり、古代の最も栄えた国家の歴史でもあります。切迫した危険のせいで、国民は支配者に服従せざるを得なくなったのです。危険が過ぎ去れば、国民は軛を払い捨てようとしました。ただし、支配者が地歩を固めること甚だしいことも多く、国民の奮闘は無駄になってしまっていたのでした。こうした進み行きは人間本性にとって完全にふさわしいものです。人間は自らの外部で活動をし、また自らの内部で自らを形成することができます。前者で問題になっているは、単に力とその合目的的な方向付けですが、後者では、自発性Selbstthätigkeitが問題になっています。したがって、自発性のためには自由が必要になり、力とその合目的な方向付けのためには、より多くの諸力がよりよく方向付けられるのは単一の意志が諸力を導くほかないのですから、隷属が必要になるのです。人間が活動しようと望むやいなや、こうした感情によって人間は支配に服従したのです。しかし活動するという目的が達成されたならば、人間の内的な尊厳というより高位の感情が目を覚ましました。このように考えない限り、同じローマ人が都市では元老院に法を与え、他方で宿営地では百人隊長の一撃に喜んで身を預けたのかわからないでしょう。古代国家のこうした性状から出てくるのは、体制Systemということで意図的な計画を理解するならば、古代国家は本来決して政治的な体制を持たなかったということです。さらに、われわれが現在、政治的変革の際に哲学的あるいは政治的な根拠を持ち出すとすれば、古代国家においてはただ歴史的な根拠しか見出されないということです。

こうした体制は、中世まで続きました。この時代には最もひどい野蛮Barbareiがすべてを覆い、野蛮が権力と結合するやいなや、最悪の専制Despotismusが生じざるをえなかったのです。自由が完全に破滅するだろうと公言されたのももっともなことでした。ただ、支配欲を持った者同士の闘いだけが自由を保ったのです。このような暴力的な事情のもとでは、他者の自由を抑圧する者でなければ、自分が自由だとは誰も思わなかったのでした。さらに、レーエン制Lehnssystemにおいては、最悪の奴隷状態と放逸な自由が隣り合わせに存在していました。というのも封臣が封主に反抗するのと同様に、封主も自分の臣民を非人道的に抑圧していたからです。君主Regentが封臣の権力に対して抱いていた嫉妬が、都市や人民においては封臣の対抗力Gegengewichtをなしていました。そして最終的に、君主は封臣を抑圧することに成功しました。それでもかつては一つの身分Ein Standが自由の保管庫Depotだったのですが、その代わりに今や全員が奴隷であり、君主の意図にのみ奉仕しているのです。

にもかかわらず、勝利したのは自由でした。というのも、人民は貴族よりも君主に服従するようになっていたので、君主から[貴族との距離よりも]いっそう隔たっていることによってより多くの余裕が生まれたからです。そこでは、君主の意図はもはやこれまでのように直接的な臣民の物理的諸力によっては――そこからは人格的な奴隷状態が生じたのですが――達成することができなくなりました。ある手段が不可欠のものとなったのです。そうです、貨幣です。つまり、あらゆる努力は、国民から可能な限り多くの貨幣を調達することへと向けられたのです。国民は貨幣を持っているに違いなく、貨幣は国民から得られるというわけです。君主が目的の実行に失敗しないためには、あらゆる種類の国民の産業の源泉を開放しなければなりませんでした。そしてこれを最もよく達成するために、多様な方途が発見されればなりませんでした。それは貨幣を調達する手段を通して暴動が引き起こされないようにするため、またあるいは産業の促進自体が引き起こす費用を軽減するためのものでもありました。こうした点に、本来、われわれの今日の政治的体制のいっさいが基づいているのです。しかし、第一の目的を達成するために、根本的にはたんに副次的な手段にすぎない国民の福祉Wohlstandが目指されたがゆえに、そして国民にはこの福祉にとって不可欠な条件としてより高度な自由が認められたがゆえに、お人好しの人間、とりわけ文筆家は、物事を逆さまにしてしまったのでした。つまり、福祉が目的であり、徴税がそのための不可欠な手段だと考えられたのです。あちらこちらでこの考えが君主の頭のなかにも入り込んでいきました。そして出来上がったのがこの原理です。つまり、統治は物理的かつ道徳的な国民の幸福と福祉に配慮しなければならない、という原理です。なんと最悪で最も抑圧的な専制でしょう! 抑圧の手段がこのように隠匿され、物事に絡みつかされていたがゆえに、人間は自分が自由だと勘違いして、最も貴重な諸力を麻痺させてしまったのですから。

しかし悪からまたしても薬が出てきたのです。つまり、同時期に、一方では、豊富な知識が発見されることで、すなわち一般的に啓蒙が広がることで、再び人間は自らの権利について学び、自由へのあこがれを逞しくしたのでした。他方で、統治das Regierenは非常に技巧的künstlichになり、名状しがたいほどの思慮Klugheitと慎重さを必要としました。啓蒙によって国民が最も専制に対して恐れをなすようになったところでまさに、統治は最も不利になり、弱みを見せること、その危険は最も大きくなったのです。したがってここでは革命さえも生じなければなりませんでした。もはや――周知のように人間は中間の道を見つけるということはできないのであり、国民がせわしなく気象の激しい性格を持っている場合はとりわけ――できるかぎり大きな自由が見込まれる体制以外は、期待されえなかったのです。つまり、それは理性の体制、政体の理想形なのでした。人間は究極的なものExtremに苦しんできたので、別の究極的なもののなかに助けを求めなければならなかったのでした。

こうした政体は持続するでしょうか。歴史による類推からすれば、否です! しかし歴史はふたたび理念を明らかにするaufklärenでしょうし、ふたたび活動的な徳thätige Tugendを掻き立てるでしょう。そしてフランスの領土にその恵みを広げるでしょう。このようにして歴史は人間の出来事のすべての進み行きを保障するでしょう。そこでは善が出来事が生じた当の場所では活動せず、空間や時間が隔たった所で活動し、またその当の場所も別の場所からその有益な作用を、たとえ離れていたとしても、受け取るのです。

私はどうしても、この最後の考察にいくつかの例を付け加えたいとおもいます。どんな時代にも、それ自体では有害でも、人間の貴重な善を救ってくれるものがありました。中世の時代に自由を保っていたものは何でしょうか。レーエン制です。野蛮の時代に啓蒙と科学Wissenschaftを保っていたものは何でしょうか。修道院制度です。ギリシャにおいて女性が軽視されていた時代に、女性への高貴な愛を保っていたのは――家庭内の生活から例を選ぶとするなら――なんでしょうか。男色Knabenliebeです。実際、われわれは歴史さえ必要としません。人間の生の進み行きそれ自体が、適当な例となってきます。どの時期にも、絵画のなかには主役が一種類、存在していて、その他の存在はみな端役として主役に奉仕するのです。別の時期にはその主役は端役となり後景に退くでしょう。このようにわれわれは、全く陽気で心配のない享楽は幼少期のおかげでありますし、感覚的な美への熱狂とそれを獲得するための労働と危険への軽視は最盛期の青年時代のおかげだと考えます。さらに、注意深い熟考、理性の根拠からの熱中は成熟のおかげ、衰弱自体について考えることに慣れること、かつてはそうだったが今はもはやそうではないのだと考察することの憂鬱な喜びは、老年の衰弱のおかげだと考えています。どの時期にも、人間全体が存在しています。しかし、どの時期にも、その存在のただひとつのきらめきが、明るく照らされているだけなのです。他の存在については、ときにはすでに半分消えかけている光の、またときには将来燃え盛るであろう光の、弱々しい光があるだけなのです。まさにこのように、個々人は自らの能力と感覚を備えているのです。一種類の個体だけでは、あらゆる状態の帰結においてさえも、すべての感情は汲み尽くされません。例えば、男性が他の人々とともにいながら、自分以外のことにコミットしていないと感じられて、自由と支配を永遠に追い求めているとして、その人が温和さ、善良さ、願望をもっているということは本当にまれでしょう。感覚的な幸福によって喜ぶとしても、与えられたものによって必ずしも喜ぶのではないのですから――これはみな女性に特有のことなのです。それに対して、女性には強さ、有能さ、勇気が欠けていることが非常に多いのです。ここから人間全体の十全な美を感じるためには、ある手段がなければならず、それによって、一度にかつ様々な程度のなかで結合されていようとも、二つの性が持つ利点を感じることができなければなりません。この手段によって、最高の生が最大に享受されるよう保証されるにちがいないのです。

これら全体から帰結するのは何でしょうか。人間と事物の個々の状態はそれ自体で注意するに値せず、それに先行しそれに後続する存在とのつながりでしか注意するに値しないということ、結果それ自体はなんでもなく、結果をもたらし、結果からふたたび発生する諸力こそが全てだということ、これです。

今日はこれくらいにしておきましょう、敬愛する*さん! お元気で!

*1:今ではこれはフリードリヒ・ゲンツFriedrich von Gentzのことを指していると明らかにされている。 Udo von der Burg: Wilhelm von Humboldts dritter Brief an Friedrich von Gentz (1791/92) - Humboldt-Gesellschaft für Wissenschaft, Kunst und Bildung e.V.

*2:[原文ではlieber*となっており、匿名にしてある。]